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はじまりのまち堺

はじまりのまち堺

堺市と伝統産業

世界有数の貿易都市

昭和被服は、堺市中心市街地域の一角・旧堺と呼ばれるエリアにあります。
旧堺とは、国内での商取引に加え、ヨーロッパや東南アジアとの貿易で巨万の富を得た堺商人たちが築いた、かつての自治都市をさす言葉です。
旧堺は織田信長・豊臣秀吉によって全国統一の最重要拠点に定められたのち、ますますの発展を遂げました。
そんな旧堺エリアを有する堺市は、幾度もの戦火をくぐりぬけながら全国有数の工業都市の地位を確立。
さらには、堺打刃物・自転車やその部品・線香・敷物・注染・和晒などの伝統産業を継承する地域としても知られています。

伝統技術の変遷

昭和被服が本社を構える地域は、堺打刃物と自転車、自転車部品製造に関わる会社が多いエリアです。

これらの製品作りに使われているのが、古墳時代から発展してきた鍛冶技術。この技術は室町時代では刀鍛冶、戦国時代においては鉄砲鍛冶に応用されました。
江戸時代になって刀と鉄砲の出番が少なくなると、刀鍛冶職人・鉄砲鍛冶職人らは当時広がりつつあった喫煙文化に注目し、たばこ包丁を作りはじめたといいます。その包丁の切れ味は、「堺極」という品質保証の印を入れての販売を、徳川幕府に認められるほどでした。

鍛造・刃付け・研ぎといった刀鍛冶の技術は堺打刃物へ。鉄砲鍛冶職人らの機械金属についての知識と技術は自転車とその部品製造へと受け継がれています。

まちと歩む昭和被服

堺打刃物と自転車、2つの伝統産業には分業制の採用という共通点があり、これには鉄砲鍛冶の影響があると考えられています。

鉄砲伝来以降、戦国大名らはこぞって堺の鉄砲鍛冶職人たちに火縄銃の製造を依頼しました。
大量の注文をさばくため、職人たちは鉄砲のパーツごとに規格を設け、どの職人がパーツを作っても、鉄砲を組み立てられるようにしたのです。
たくさんのパーツからなる自転車製造にはもちろん、こうした分業体制は堺打刃物にも取り入れられました。鍛造職人が刃物の形を整え、それを刃付け職人が研いで鋭い切れ味を持たせます。
出来上がった刃物に柄をつけるのは、柄職人の仕事。現代では分業が進化し、出刃や薄刃など包丁の種類ごとに専門の職人が存在しています。

昭和被服の周辺に堺打刃物と自転車、自転車部品製造に関わる会社が多い背景には、この分業体制があります。力を合わせて一つの製品を作る関係から、職人たちはつかず離れずの距離に工房を構えたのでしょう。このことは、伝統産業の分布状況からも推測できます。

「より働きやすく、より一体感を得られる作業服やユニフォームを」という昭和被服のビジョンには、地元・堺市の歴史が生んだ産業のかたちに寄り添いたいとの願いも込めています。
思いを掲げ、これからも昭和被服は、堺市とともに歩み続けます。